大学入学~出会い
1998春~
大学入学。
夢のキャンパスライフ。
が、在学男女の比率が13:1というあまりの競争率に、色んな期待が泡のように消える。
軽音楽部のドアを叩く。
尖ったブーツを履いた、もやしの様な体系、ライダースジャケット、牛乳瓶のメガネという恐ろしいコーディネートをまとう部長に延々とロックを語られる日々。楽器を触らせてもらえず。
新入生歓迎会の自己紹介にて、初めて担当楽器を尋ねられる。
「ドラム、ギター、キーボード」と控え目に答えるも、「我が部に天才が来た!」と祭り上げられる上に、
デビュー戦とは思えない酒豪っぷりを発揮し、部員全て酔わせ潰すという伝説的なデビューを果たす。
相変わらず神童と思い込む。
入部後、しばらくの間は部長が彼女の為に書いたという、耳も当てられないラブソングを一緒に演奏させられるなど苦痛の日々を送る。
そんな中、夏に地元の友人達とバンドを組み、TeensMusicFestivalに出場。
サイドギター担当。リードギターが書いたオリジナル曲を演奏。
橋にも棒にもかからず。
1998冬~
繁華街のゲームセンターでアルバイト。
恋に遊びに車に恋に遊びに車に半ばチャラい毎日。
軽音部の先輩から「繁華街でアコギを持って歌っていたら酔っ払いに五千円もらった」とのエピソードを聞く。
「それだ!」と背中に何かが走った瞬間から、ゲームセンターのアルバイトを終えては、やみくもに夜の街へアコギを持って繰り出す日々。
時には宮崎をキャンプ地とする巨人軍の選手しか出歩いていないような平日の夜は、層々たる有名選手と一緒に歌い騒ぐなど楽しい日々を送る。
友人のイケメン美容師とユニットをノリで組んで以来、地元の女子大生&女子高生を中心に人気を博し、時には繁華街の中心街アーケードが人だかりで通行不能になることも。
神童、イケメンにあやかり黄色い声援を浴びるなどピークを迎える。
とある日、ファンの一人から「うちの高校の卒業ライブに出てください!」との打診を受ける。
その高校は女子の比率が多いとのことで、チャラユニット卒業ライブに参加。
そんな中、一緒に出演していたJUDY AND MARYのコピーバンドのギター女子が、器用にエレキギターをさばいているのに感心する。
卒業ライブに誘ってくれたファンの子から「私も歌を歌いたいんです。でも楽器ができなくて。」との相談をメールで受ける。
神童はとっさに「あのジュディマリの子でいいじゃん!」と背中を押す。
この一言が、数か月も経たずして、彼女達、チャラ神童の人生を大きく動かす事になるとはつゆ知らず。
1999春~
相変わらず繁華街でのチャラユニットは人気を博し、地元の女子大の学園祭など引っ張りだこ。
その傍ら高校時代の先輩から某ゲームが音楽を一般公募しているから一緒にやらないか?との誘いを受ける。
DTMデビュー。
が、自分の様な黄色い声援を浴びている神童にはこんな地味な作業は合わないと即あきらめる。
なんとなくオリジナル曲も増えてきて、相変わらずの軽音楽部内での神童扱いは本人を天狗にしていくばかり。
夏が始まろうというしていた頃、「あのファンの子」から「あのジュディマリの子」とユニットを組んだので見てほしいとの連絡が来る。
まだ音楽も始めてままならない二人が、神童さえも橋にも棒にもかからなかったTeensMusicFstivalに応募したいのだと。
当初コピーで出場するはずだった所、自作曲を他の人に歌ってもらうことも欲していたタイミングもあり、応募提出期限ギリギリ
半ば強制的にオリジナル曲で出場しようと提案する。
後に3人の人生を変えてしまうそのオリジナル曲は、神童のバイト帰りの入浴タイムに作曲&風呂上り映画を見ながら作詞といった感じで2~30分程度で制作。
「女子高生の思い出作りだ。その程度なんだから、曲もこんなもんだ」
という、世の中をナメきったチャラ男子大学生兼神童。
そこからが怒涛の夏のはじまりとなる。
1999夏~
コンテスト予選に向け、3人での練習はほぼ毎日。
歌い方、ギターのストロークの仕方まで、彼女達は見る見る内にスポンジが如く吸収していく。
時は来て地区予選。
ちなみに神童には、神童よりもギターがうまい3歳年下の弟がいる。
弟も実はこのコンテストに出場しており、出場者の中でも本選優勝候補とも囁かれるほどのバンドに在籍していた。
その傍ら、遊び半分に目標を「地区予選突破」に見定め、
それをクリアしたら神童が全員に焼肉を奢るという学生らしい口約束をした。
が、その遊び半分が弟バンドと共に予選を突破してしまう。
※実は焼肉は未だ(2016年)奢っていない
「まぁここまで出れたんだから立派なものだ」と、「県予選の後は焼肉だ」と意気込むも、
何を間違ったのか彼女達は更に南九州予選へ進んでしまう。
※ちなみにこの時の県代表は、我々、弟バンド、当時まだ高校生だったシュノーケル西村晋弥を含む数組
南九州予選@鹿児島市民文化ホール。
鹿児島のバンドは昔からレベルが高く、弟のバンドもそれに負けていない。
しかし彼女達と言えば実技は全く伴っていなく他のバンドとは比べられない演奏技術。
しかしながら、ここへきてはじめて気づく。
その大舞台だからこそ、楽曲のパワー、彼女たちの物怖じしないキャラ。
コンテストだというのにホール内の空気が完全に彼女達の空気で変えられてしまっていた。
「なんかもしかしたら優勝しちゃうかも、いや多分取ったな」
スラムダンクで安西監督が桜木のリバウンドで感じたと同じ武者震いをした事を未だに覚えている。
確信通り彼女達は南九州も制してしまい、全国大会へ進むことになる。
この辺りから、この楽曲をインディーズでCDにしようという動きが持ちかけられる。
1999秋~
福岡博多のスタジオで初のレコーディング体験。
レコーディングメンバーには同学年のスタジオミュージシャンの卵達も居て、あまりのレベルの差にもしかして自分が神童ではないのかもしれないと疑う。
だが、その人達にも褒められて安定の神童っぷりを見せていく。
ディレクターと呼ばれる、生涯初の東京の業界人Tちゃんに出会う。
某世界的日本人バイオリニストの様な風貌な上、これでもかと業界用語を連発され圧倒される。
そして何が何だかよく解らないまま、生涯初のレコーディングを無事終える。(見学のみ)
その傍ら彼女達は全国大会では優勝は逃したものの、元々用意されていなかったオーディエンス賞(いわゆるおいしいとこ全部持って行った賞)を受賞。
シンガーソングライターながら楽曲が実際人のものになっていくという感覚を少し覚え、
同時に自分がどんどん彼女達に置いてけぼりにされるような、少し不穏な気分に陥ってゆく。