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​生誕~高校卒業

1980~

九州は宮崎、のどかな田舎町で生まれる。

最初の仮タイトル(名前)はショウヘイ。経緯は謎だが最終的に「靖正」に決定。

子供部屋にドラムセットが仮設置されるなど、バンド活動もやっていた父親、ピアノ講師の叔母など、音楽環境に囲まれた幼少期を過ごす。

人前に出るのが苦手なのにも関わらず、父親の毎年行なわれるバンド定期演奏会にて必ず行われる、本編終了後メンバーの子供たちによる花束贈呈の儀式でステージに上がらなければならないハードミッションに悩まされる。

同時に音楽自体に嫌悪感を覚える。

1986~

小学校入学と同時に、叔母のピアノ教室(実家)に通う。

​同級生達が遊んでいる中、何故自分はピアノを弾かなければならないのかという葛藤にさいなまれる。

​相変わらず花束贈呈のミッションは、毎年完遂。

1990~

ファミコンを買ってもらえない家庭環境にあり、毎年サンタクロースに「ファミコン、ファミコン」と藁にもすがる思いで願いを込めるも、

忘れもしない小学校四年生の12/25早朝、枕元に置かれていた包装紙を開けると、そこには観たこともない白スーツを着た黒人が偉そうに座る正方形の物体が入っていた。

マイケルジャクソン「スリラー」のCDアルバム。

これが最初のポップスとの出会いになる。

洋楽にも触れたことが無い上、何よりも実家にCDプレイヤーが無く悶絶する。

​(ちなみにこの件を両親は一切覚えていないとの事。)

1991~

母親に譲ってもらった久保田利伸『the BADDEST』をウォークマンでテープが可哀そうになる位聴きこむ。

8cmシングルを購入しては貸し借りをするという現象が、少しずつ教室内で起き始める。

前述の通り、実家にCDプレイヤーが無い為、同級生宅に出向き、その都度カセットにダビングしてもらうという迷惑行為を繰り返す。

街唯一のレンタルCDショップは、田舎ならではの在庫数な為(人気アーティストのヒット曲でも数枚)、

返却待ちを数時間覚悟で店内をうろつく迷惑行為も繰り返す。

J-POPの虜になる。

1992~

中学校進学祝いに念願のCDラジカセ(aiwa)を手に入れる。​

様々なCDシングルを46分テープに無駄なくロマンチックな曲間で収め続け、自らをカセットテープ編集の神童だと思い込む。

傍ら、バスケットボールに励む。​

1994~

同級生達がエレキギターを持ち始め、ギターを弾くことが男子のステータスとなる。

 

父親がドラマーという環境、ピアノを少しだけ弾けるという条件でバンドへの参加権を得る。

​文化祭という大舞台にて、キーボーディストとしてステージデビュー。

 

​尚その時演奏されたのは、UNICORN「服部」「東京ブギウギ」。

その後、卒業ライブにて、父親がドラマーだという理由だけでドラマーに転向。

誰一人叩けなかったリズムパターンを一発で叩けてしまい、またも自らを神童だと思い込む。

他校のバンドから一目を置かれるなど、調子に乗る。

 

The Beatlesの青盤を聴き、衝撃が走る。

1995~

高校進学祝いに3CDチェンジャーの七色に光るコンポ(aiwa)にグレードアップ。

が、入学してすぐに自分より凄い同級生ドラマーと出会い、バンドの道は挫折。

「無ければ作る」精神のDIY野郎である祖父にバスケットゴールを作ってもらう。

恐らく目分量で作られた為、本来の公式の物より高さも高く、バックボードは小さく、リングの内寸が信じられないくらい大きいモノが実家の庭に仁王立ちすることに。

そんなバスケットボールに励む傍ら、父親から譲り受けた中古のビデオカメラで自主映画を制作開始。

​​自ら職員室に出向き、キャラクターの濃い教師陣に出演を依頼するなど、周りを巻き込みふざけてやろうという姿勢は、この頃から勢いを増していく。

同時に、昼休みは音楽室に閉じこもり、ひたすらJ-POPの旬なヒット曲を誰よりも早く耳コピー、練習、

そして音楽の授業開始前の空白の五分間、澄ました表情で突然それらを披露するという奇行を繰り返す。

​女子へのアピールのつもりが、届かず。

​​が、この行動が後の音楽人生に重要なキッカケをもたらす事になるとはつゆ知らず。

1996~

文化祭。

 

体育館での全校に向けた音楽の催し物がクラシックピアノの発表のみという,進学校らしい伝統に嫌気がさし、クラシックを弾ける女子生徒に応募用デモを録音してもらい、本番は提出曲でなく「スーパーマリオブラザーズ組曲」を披露し、1500人のオーディエンスを前に男子生徒のみの喝采を受ける。

 

掲げられる文化祭の不透明で壮大すぎるテーマ(友情、環境等)の裏をかくオフザケに目覚め、毎年その無駄に高度なオフザケのクオリティーに教師陣からも暗黙の了解をもらい、好き放題文化祭を盛り上げる事に目覚める。

同時に文化祭の度披露される自主映画も、年を追うごとに上映館のキャパシティー(クラス教室⇒視聴覚室⇒多目的室)を広げていく。​

1997~

高校最後の文化祭。

 

バスケットボール部を引退後、部員でバンドを結成。地味なキーボード、ドラムは地味でモテないからと念願の花形ギタリストとしてデビュー。

​​その時演奏されたのはMR.BIG、THE YELLOW MONKEY。

 

その年の文化祭はバンド活動にとどまらず、例年通り体育館で大観衆を前にクラシックピアノ発表(披露曲は渡る世間は鬼ばかり)、

体育祭では全体の応援団を率いて「ドリフのいい湯だな」の振り付け指導を全うするハイパーメディアクリエイターっぷりを発揮。

やはり神童だと思い込む。

1997冬~

大学の推薦入学が早々と決まり、中華料理屋でバイトの日々。

毎日の容赦ない養豚クラスのマカナイ攻撃に、この頃から体系が崩れ始める。

一方ではギタリストに転向したものの、ただのモテる人がバンドをやればその人だけがモテるという現実に触れ、

ひたすら楽器を練習することが馬鹿らしくなると同時に、映像編集と近い感覚で音楽を編集できるMTRという機材の存在を先輩から教わる。

4トラックカセットMTRを手に入れ、音楽人生が一変する。

前述の女子の注目を集める為だけに練習、耳コピーしまくって自然と身体に植え付けられたJ-POP理論が功を奏し、

オリジナル曲、編曲、多重録音に没頭するようになる。

卒業式に向けて制作された、各クラスののど自慢を集めて制作、販売されたオリジナルカセットアルバム100本が校内1フロアのみで即完。

​しかし100本ものカセットのダビングに7色に光るaiwaのコンポのキャパシティーが付いていけず、これを機にCDを三枚呑み込んだまま殉職。

自分は音楽で生きていく人間なんだと、またも自らを神童であると勘違いする。

​​クリエイティブかつ異端児っぷりを発揮してきのにも関わらず、全く女性にはウケないまま高校生活を無事終了する。

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